ひぐらし日記 by SWEETCREEK ヨシ

つれづれなるままに日々の雑感

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やめれ

2011/04/06 00:29 ジャンル: Category:震災
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仮設住宅がようやく36戸、陸前高田市に完成して募集が始まったようですね。
希望者1160組、倍率32倍だそうです。
数十万戸が必要とされているのにようやく36戸、仮設住宅は建てるのに1戸あたり240万円らしい・・・

生まれ育った故郷を愛する気持ちはわかります。俺たちの町を復興させようという気概もわかる。
でも、ちょっと待てよと思うのは私だけではないだろう。

被災地の避難所や仮設で暮らすより他県の避難所や旅館で暮らしたほうが生活環境は格段に改善されるはず。
けれど、今、現地に残っている被災者の方々はあえて被災地の避難所を選んでいるらしい。
受け入れのキャパはどこの自治体の避難所もホームページ等をみると余りまくっているようだ。
数日前のニュースではある町の被災地の避難所から自治体の用意した他県の旅館に避難するという話に希望者がたったの2組だったらしい。
出て行った家族には「もう戻ってくるな」的な言葉が浴びせられたと言う。
みんなでがんばろう的な気持ちはわかるが、・・・?という気持ちは抑えられない。
どのみち仮設住宅がこんなスローペースで抽選で決まるというのでは、地域コミュニティーはバラバラにならざるをえないではないか。
仮設住宅の期限は2年間らしい。
ということは、1ヶ月あたりのコストは10万円、ならば、旅館やアパート借りたほうがコストは安上がりの上、不況の業界の活性化にもなるではないか。

と前置きはこれくらいにして(笑)、本題ですが、誤解を恐れずに言えば、冷たいようですが、今回壊滅的な被害を受けた地を復興するのは諦めるべきではないか、ということです。
国土交通省釜石港湾事務所のホームページによると「歴史に残る大津波の記録は、860年、1611年、1616年、1676年、1696年、1835年、1856年、1896年(明治29年)、1933年(昭和8年)と続きますが、ほかにも大小数多くの津波が、三陸海岸に襲来しています。」だそうだ。
何年かおきに必ず大津波が来る地域で人が暮らすというのは自殺行為ではないか。
今回は78年ぶり、その前は37年、よく見ると17世紀には5年後、20年後に来ている。どれだけ正確な記録、規模かわからないけど。

壊滅的被災地域は、国が買い上げ、代替地を用意して全員移転させるべきではないか。
大津波は必ずまたやってくる。50年後か80年後か5年後かもしれない。
自分は助かったからまた来ても助かるとでも思っているのだろうか。
子孫がまた同じ悲しみに暮れるのは目に見えているではないか。
仮に命が助かっても家や財産すべてがまた流される。
亡くなった方はきっと残された家族に対し「もうこの地で暮らすのはよせや、山彦になってくれ」と思っているのではないだろうか。
はたまた「ご先祖様よー、なんでこんな地に居を構えたんだよお、おら死んじまっただよお」と恨み節を唱えているかもしれない。

悲劇はこの地を離れれば避けられる。
ほとんどの人が家も仕事も失ってゼロからの出発ということになるのだろう。
ならば、もう漁師やそれに付随する関連企業、かっての仕事にこだわるべきではないだろう。
こだわっていてはいけない。自分と自分の子孫の命の問題なのだから。
断腸の思いかと存じますが、心機一転、新しい地で新しい仕事に取り組んでもらいたいです。

今回の津波は地震発生から津波到達まで3~40分くらいあったのかな。
即行で逃げた人は助かった時間的余裕があったようだけど、奥尻島の時は3分で到達したらしい。
避難所を新たにつくり避難訓練をまめにしておけば大丈夫みたいな意識は棄てるべきだろう。
今回の津波の記憶が薄れ歴史上の出来事のひとつになった頃、必ずまた奴はやってくる。
防波堤や人の油断や甘さを嘲笑うように、すべてを飲み込んで去っていくことだろう。

政府は強制的に退去命令を出すべきではないか。
ダムや空港建設での強制退去とは意味が違う。国民や被災者の理解も得やすいだろうよ。
ちなみに奥尻島では被災者の半数以上は元の被災地に暮らしているようです・・・12mの防波堤は新たに造ったようだけど・・・


2006年放送だそうです。
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